第一次世界大戦終結後間もなく、詩人ポール・ヴァレリーはチュービンゲン大学における講演で言った。
「諸君、嵐は終わった。にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が起ころうとしている矢先のように、不安である」。
ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。しかし、国民国家という新しい世界体制は第一次世界大戦の国家総力戦による大量破壊へ繋がり、19世紀以来続いた西欧の進歩主義への信仰は大きく揺らぐこととなった。とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたドイツにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。大陸ヨーロッパの知識人はキリスト教の精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。
「主体性が真理である」として神から与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールに対して、しかし、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者として、1930年代、ドイツのマルティン・ハイデッガーやカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られ、こうした考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることになった。
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第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束) の思想に見られるように社会参加色が強く、1960年代の学生運動の思想的バックボーンとなった。
この制度に対する個人の重視 (主にサルトルの思想) は、1970年代に入ると、構造主義などから批判を受け、低調になっていくが、実存思想そのものは広く受け入れられた。
また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学、心理療法との相性も良く、特にカール・ロジャースらが始めた心理療法には「今、現にここに存在している私」を問題とする実存主義の強い影響が見られる。
実存主義を哲学のみならず、文学、芸術などにも拡大解釈する場合 (オットー・フリードリッヒ・ボルノウなど) 、パスカルやドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある