古来、日本の戦場では戦利品の一部として男女を連れて行く「人取り」がしばしば行われており、日本人領主からそれを買い取った中国人商人やポルトガル人商人の手によって、東南アジアなどの海外に連れ出されたものも少なからずいたと考えられている。
1560年代以降、イエズス会の宣教師たちはポルトガル商人による奴隷貿易が日本における宣教のさまたげになり、宣教師への誤解を招くものと考え、たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を求めていたが、1571年に当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功した。それでも、奴隷貿易は根絶にいたらなかった。
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天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の一行が、途中立ち寄った地域で日本人奴隷を目撃し、自国人と白人両方への憤りを報告書に記したという事実が確認できない情報がある。一方『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)には「売られた者たちはキリスト教の教義を教えられるばかりか、ポルトガルではさながら自由人のような待遇を受けてねんごろしごくに扱われ、そして数年もすれば自由の身となって解放される」という記録がある。
天正15年(1587年)6月18日、九州討伐の途上で豊臣秀吉は十一ヶ条にわたるキリシタンへの規制を表明したが、その第十一ヶ条に人身売買を禁ずる項目が含まれている(しかし、この表明の中ではキリシタンは「八宗九宗」すなわち体制内の宗教と認めて禁制とされていない。